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「フラニーとズーイ」の感想



・はじめに



先日、フラニーとズーイを読了しました。J.D.サリンジャーは今回で二冊目で、初めて読んだ本は「ライ麦畑でつかまえて」でした。当時は、とっても面白くて(でも面白さが言語化できない感じ)読みながら爆笑していたのを覚えています。
そんな中での今回の「フラニーとズーイ」。どんな本なのかワクワクしながらの読み初めでした。




・★評価

  • 面白さ    ★★★★☆
  • 分かりやすさ ★★★☆☆
  • 気づきの多さ ★★★★★
  • 総合おすすめ度★★★★☆




・あらすじ



美人な女子大生フラニーの話からこの物語は始まる。彼氏と久々に会うのになんだか様子がおかしい。体調が悪そうに見えるのに、今読んでいる本についてはペラペラと喋りだす。そのような彼女の変化の謎に、兄であるズーイが迫っていく。




・感想



最初は不思議な本の真相解明について描かれていく物語だと思った。しかしそうではなく、宗教を通した自分自身とのかかわり方を説いた本であると考えた。
神というのは、結局自分自身が生み出す幻影でしかなくて、でもそれに対して自分の最大限の力を出して完璧を、高みを目指す。そのためのものにあるのが神という存在であるという事なのかな・・・と私は解釈しました。




・気づき



この小説の中で一番印象に残っているのは、ズーイがフラニーのタッパー教授への態度を責める場面。何か気に入らないものがあるとき、本当はそれを良しとしてしまっている「システム」と戦うべきであり、それ自身(この場合ではタッパー教授)と戦うべきではないという言葉。
これは自分自身にも当てはまる部分があるなと思った。

やはり小さい敵と戦う方が本能的に楽に感じてしまうからなのか、起こっている事実を矮小化し本質的な部分を見失っていることがある。

でも、
大きな視点で考えるというのは、悲しみや怒りに苛まれている時にはできないことが多い。
だからこそ人に話したり、それができなければ文字にして書き出してアウトプットをして、負の感情を外へ放出しなければならないのかも。

そうしたら、少しは気分が和らいで広い視野で考え、次どのように行動すればいいのかなと自己成長へと導けるのかな。


この場面を読んで、自分の物事に対する見方や嫌なことがあってもすぐに人に相談できない弱さを改めて実感しました。




・まとめ


初めてブログに書くぞ!と意気込んで読んだ本だったので、気づきがここに書ききれないほど多かったです。
私自身は日頃信仰している宗教はないのですが、何か不安な場面では神様に頼ってしまうことも多いです。その時の神は、やっぱり自分に都合のいい神で、フラニーもそのような神に救いを求めていた・それほど苦しんでいたんだと読み終わってから思いました。いつか「ナイン・ストーリーズ」も読めたらいいな。

以上、読んでくださりありがとうございました!!

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